地中海に浮かぶマルタ共和国は歴史上で見ると、数千年にわたり多くの国に侵略、支配されてきました。
調べてみるとあまりの多さに驚かされます。
マルタにある多くの遺跡や神殿、要塞を見ればその歴史を刻んでいることが分かります。
「どの観光スポットを巡ればいいのか」と迷う方も多いのではないでしょうか。本記事では、マルタの侵略の歴史を簡単に解説しながら、見逃せない遺跡や神殿スポットをご紹介します。

マルタが侵略され続けた歴史とは
マルタ共和国は、地中海の中心に位置するという地理的な特徴から、古代から多くの国や民族に支配されてきました。その歴史は「侵略の連続」ともいえるほど複雑で、現在の文化や街並みにも大きな影響を与えています。
石器神殿が建造された時代(紀元前5200年~紀元前3500年頃)

紀元前5200年頃
シチリア島から渡来した人類が洞窟に住み始め、
紀元前3500年頃
石器神殿が建造されたとされています。
フェニキア人と古代文明の始まり(~紀元前218年頃)
紀元前1000年頃
フェニキア人が移住し港を整備し、マルタを交易の拠点として地中海交易を発展させました。
この頃に、マルタ語の言語が持ち込まれたともいわれています。
紀元前400年~218年頃
カルタゴや古代ローマにも支配され、マルタは重要な軍事・貿易拠点としての地中海貿易で繁栄させていきます。
ローマ帝国から中世ヨーロッパへ(~1479年頃)
ローマ帝国の支配下でマルタは比較的安定した時代を迎え、60年には聖パウロがマルタ島に漂着したことでキリスト教が伝えられ、のちにキリスト教は国教化とされました。
その後もマルタは、さまざまな支配や侵略を受けながら文化の融合、要塞を確立していきます。
395年
西ローマ帝国の滅亡後、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)が支配する。
870年
アラブ人の侵攻受け、イスラム帝国の支配下に置かれる。
1127年
ルノマン人に占拠される。
1479年
スペインの支配下に置かれる。
聖ヨハネ騎士団と要塞国家の誕生(~1795年)

1530年
聖ヨハネ騎士団の所領となり、オスマン帝国の侵攻に備え、強固な要塞都市を築きました。
1565年
オスマン帝国の大包囲を受ける。※しかし騎士団は4か月でオスマン帝国を撃退することに成功、(マルタ包囲戦)ヨーロッパ防衛の象徴として歴史に残っています。
1795年
ナポレオンによって占領され、フランスのマルタ占領となるが市民の反乱により1800年にフランス軍が撤退しました。
現在観光地として人気の城壁や要塞は、この時代に築かれたものが多く、マルタ観光の大きな見どころとなっています。
イギリス帝国の支配(1800年~1964年)

マルタ島はイギリスの保護下に置かれた後、1813年、イギリスはそのままマルタ島をイギリスの直轄植民地としました。
イギリスの統治下で、イギリス海軍の重要な軍事基地となり、イギリスの地中海艦隊の拠点としての役割を果たしました。
地中海を経由してインドに至るルート上に位置するマルタは、イギリスの重要拠点となっていき、第一次世界大戦と第二次世界大戦では、マルタ沖で海戦が度々勃発しました。
イギリス帝国から独立へ(1964年~現在)

1964年
イギリスから独立したミニ国家が誕生
1974年
共和制導入。マルタ共和国となる。
2004年
EU加盟し、2008年には通貨にユーロ導入されました。
「ヤルタからマルタへ」
1989年の東西冷戦の終結を告げる歴史的なマルタ会談の舞台としても知られる。
ゴルバチョフ書記長とブッシュ大統領が米ソ首脳会談を開催して戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピールし、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたった。
そしてマルタはついに独立を果たし、現在の国家として歩み始めました。
幕引きを世界にアピールし、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたった。タはついに独立を果たし、現在の国家として歩み始めました。
1945年2月4日から11日にかけて、ソビエト連邦のクリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿で開催された、イギリス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国による連合国首脳会談である。
第二次世界大戦が終盤に入る中、ソ連対日参戦と国際連合の設立について協議された他、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで、世界大戦後の「ヤルタ体制」と呼ばれる国際レジームを規定した。超大国主導の勢力圏確定の発想が色濃く、東西冷戦の端緒となった。「クリミア会議」とも呼ばれる。
引用:wikipedia
マルタ観光で外せない世界遺産
マルタには、世界遺産リストに登録された文化遺産が3件存在します。(自然遺産、複合遺産無し)
ここでは、初めて訪れる方でも外せない代表的なスポットをご紹介します。
1、ヴァレッタ市街

マルタの首都、ヴァレッタは街全体が世界遺産に登録されている稀有な都市です。
16世紀に聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)によって築かれたこの城塞都市は、当時の騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットの名前にちなんで名付けられました。
ヴァレッタは、オスマン帝国の再攻撃に備えて1566年から建設が開始された堅固な要塞都市で、街全体が城壁に囲まれ、計画的に設計された街路が特徴的で、500年以上経った現在でも当時の美しい姿をとどめています。
聖ヨハネ大聖堂(St John’s Co-Cathedral)

1577年に完成したこの大聖堂は、外観からは想像できないほど内部が豪華絢爛です。
大聖堂の床には聖ヨハネ騎士団の騎士たちの墓石が敷き詰められていて、それぞれにデザインがあり、メッセージが刻まれています。
天井には、聖ヨハネの生涯を描いたフレスコ画が広がり、その壮大さに圧倒されます。
内装は画家カラヴァッジョの影響を強く受けたカラブリア出身、マッティア・プレッティと言う画家によるものが大部分だそうです。

tabibitoこんな豪華絢爛な教会は初めてでした!
息をのむほど素晴らしかったです。
また、教会内にはバロック期を代表するイタリア人画家、カラヴァッジョの『洗礼者ヨハネの斬首』を見ることができます。
横幅が5メートル以上の1608年に描かれたカラヴァッジョの最大の大作と言われ、本人のサインの入っている珍しい作品です。





ヨハネの血だまりのあたりに、血と同じ赤字で書かれてます。
(ちなみにMichelangelo Merisi ,と書かれています)
そしてここにはカラヴァッジョの傑作「執筆する聖ヒエロニムス」もありました。
これは当時、騎士団のナポリ支団長のために描かれたものだそうです。





この大聖堂には日本語対応の無料音声ガイドが利用できるため、歴史的背景を理解しながら見学することができますよ。
聖ヨハネ大聖堂 St John’s Co-Cathedral
住所:Triq San Gwann, Il-Belt Valletta
HP:https://www.stjohnscocathedral.com/
営業時間:月曜~土曜 9時~16時45分
アッパー・バラッカ・ガーデン(Upper Barrakka Gardens)


グランドハーバーを一望できる高台にある公園で、地中海の青い海と対岸のスリーシティーズの街並みを眺められる絶景スポットとして人気を集めています。
この公園は一般開放されていて、たくさんの観光客でにぎわっていました。
毎日正午と午後4時には空砲が発射される為、この大砲の発射を見ようと多くの観光客が集まります。



私も行く予定でしたが、ついつい聖ヨハネ大聖堂に長居をしてしまい、大砲の発射音を聖ヨハネ大聖堂でその音を聞くことになりました(汗)
騎士団長の宮殿(Grand Masters Palace)


1547年に設計され、聖ヨハネ騎士団の団長が公邸として使用してきた歴史的建造物で、 イギリス統治下時代は立憲議会や大統領府としても使用され、現在も政府機関として機能しています。
(聖ヨハネ大聖堂と同じ、建築家ジロニモ・カサールによるものです)
館内には騎士団長ラ・ヴァレットが実際に着用した甲冑や大砲、8か国の異なった甲冑や武器が展示されています。
壁一面が絵画で覆われた「最高審議の間」や赤いタペストリーで彩られた「大使の間」など、マルタの戦いの歴史を肌で感じられる貴重なスポットです。


正式名称:騎士団長の宮殿 Grand Masters Palace
住所:Grand Masters’ Palace,St George’s Square, Valletta VLT 1191,Valletta,Maltaスペース
その他、ヴァレッタにはまだまだ見どころがたくさんあります。
これはまた別の機会にご紹介したいと思います。
2、マルタの巨石神殿群


マルタ島には約30の巨石神殿が確認され、そのうち7神殿が世界遺産として登録されています。
デザインや建築様式は異なりますが、楕円形の前庭があり、オルソスタットと呼ばれる直立した石のブロックを組み立てて造られているのが特徴で、非常に技術力が高い文明だったと考えられています。
タルシーン神殿 Tarxien Temple and Museum
マルタ島南部 紀元前3150年頃


この神殿は精巧な彫刻や装飾が施され、4つからなっています。
壁に見られる渦巻き模様の装飾は、時間と永遠の象徴であるとされています。
タルシーン神殿から「眠れる貴婦人」と呼ばれる女性像が発見され、原物は国立考古学博物館に展示されていています。





私が見て嬉々として撮ったこれはレプリカだったようです(汗)
この宮殿は、同じマルタの巨石神殿群のハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿に近く、ヴァレッタからもバスで約30分程度の距離なので、組み合わせて訪問するのがおすすめです。
ハジャー・イム神殿 Hagar Qim Temple
マルタ島南部 紀元前3200年頃
ここで発掘された現存する神殿群の中でも最も保存状態が良いことで知られています。
ハジャーイム神殿からは‘Venus of Malta’マルタヴィーナスが発掘され、こちらも国立考古学博物館で見学可能です。
風化が進み、現在はテントで覆われていますが、神殿内部の見学は可能で、隣接する博物館では実際に石に触れることが出来るようです。
イムナイドラ神殿(Mnajdara Temple)
マルタ島南部 紀元前3200年頃
ハジャーイム神殿から約365メートル(徒歩約5分)坂を下った先にあります。
こちらもハジャーイム神殿同様、近年風化が進んでしまったため、現在はテントに覆われていますが、神殿内部の見学は可能です。
スコルバ神殿(Skorba Temples)
マルタ島北西部 紀元前3600年から3200年頃
マルタ島北西部ゼッビエ(Żebbieġ)に位置する巨石神殿遺跡で、マルタの巨石神殿群の中でも最も古い部類に入ります。
マルタ島で最古級の定住跡や建築層が確認され、神殿の基礎部から土器や石器も出土し、文化の手がかりとされています。
タ・ハジャラット神殿(Ta’ Ħaġrat Temples)
マルタ島北西部 紀元前3600年から3200年頃
スコルバ神殿から約1キロメートルの距離にあり、 小二つの巨石構造物がで多数の陶器や石灰岩による神殿の模型が発掘されています。
スコルバ神殿同様に世界最古級の宗教建築の一つとされています。
タル・シルク神殿 Tarxien Temples
紀元前3600〜2500年頃 マルタ島南部
マルタ共和国マルサシュロック近郊のタルシーン(Tarxien)にある先史時代の巨石神殿群で巨石建築群の中でも最も装飾的で精巧な遺跡として位置づけられています。
ジュガンティーヤ神殿 Ggantija Prehistoric Temple
紀元前3600年 ゴゾ島


ゴゾ島にある巨石神殿群の中でも最大規模を誇り、マルタの巨石神殿群の中でも最も古い部類に入ります。
最も大きな石は重さが50トンにも達すると言われています。(中には20トンと言う説も)
当時どのように運んでこれたのか、謎です。
ここゴゾ島はマルタ島からフェリーで約25分の距離なので、日帰りで十分訪問が可能です。
3、ハル・サフリエニの地下墳墓 Ħal Saflieni Hypogeum


ハル・サフリエニの地下墳墓は、マルタ島のパオラ(Paola)で発見された、紀元前2500年頃に遡る地下構造物である。
本来は宗教上の聖域として作られたと考えられているが、先史時代の内に共同地下納骨堂に転用された。これは世界で唯一の先史時代の地下墳墓である。引用:wikipedia
ここはマルタ島のパオラという町で、ヴァレッタからバスで約15分の距離にあります。
地下墳墓は3層構造で、石室が迷路と階段で繋がっている複雑な構造になっており、当時の建築技術の高さがうかがえます。
内部には「聖域」や「礼拝所」などの空間があり、音響効果が非常に優れています。また約7,000体もの人骨が発見された事で、当時の埋葬習慣や社会構造を知る上で貴重な資料となっているようです。
このツアーは少人数のグループで音声ガイドを聞きながら地下墳墓を巡るのですが、日本語の音声ガイドはありません。
ここの見学は1日最大最大70人に制限していて、完全予約制ですので事前にオンラインで予約する必要がありますが、観光シーズン(4月から10月)は予約が取りにくいため早めの予約をお勧めします。
予約は公式サイト:https://heritagemalta.mt/explore/hal-saflieni-hypogeum/



私は行きたいときに予約が取れず、結局行けずじまいでした。
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まとめ
マルタ共和国は古代より、フェニキア人やローマ帝国、聖ヨハネ騎士団など、さまざまな勢力に支配されてきた歴史を持っています。
そのため、現在でも歴史的建造物が数多く残されており、観光地として大きな魅力となっています。
観光スポットを巡る時、その背景や歴史を知ると見え方が大きく変わり、深い体験につながると思います。
これからマルタを訪れる方は、ぜひ歴史と観光の両方を楽しみながら、素敵な旅をお楽しみくださいね。




