台湾旅行といえばグルメや夜市を思い浮かべる人が多いですが、台湾には「台湾原住民」という
奥深い文化が存在しています。
「原住民って何?」「どんな種類がいるの?」「今も昔と同じ生活をしているの?」
と疑問に思う方も多いはずです。
実は私自身、台湾原住民と大きく関わりを持っており、ある程度知っているつもりでしたが、今回、改めて原住民の歴史・文化を調べ、自分自身の備忘録として残したいと思います。
出来るだけ偏りのないよう、お伝えできれば嬉しいです。

台湾原住民とは?
原住民の定義
台湾原住民とは、漢民族が台湾に移住する以前からこの地に住んでいた先住民族のことを指します。
現在、台湾政府は複数の民族を正式に認定しており、それぞれ独自の言語や文化を持っています。
人口と分布
台湾の人口のうち、原住民は約2〜3%ほどとされています。
2025年度末、原住民人口の数は62.9万人、前年度から2.9%増加しているとのこと。
主に台湾東部(花蓮・台東)や山岳地帯に多く住んでおり、自然と密接に関わる生活を続けてきました。
現在は都市部に移り住む人も増えています。
台湾原住民の種類
主要な民族
1.アミ族(阿美族)
2.パイワン族(排湾族)
3.タイヤル族(泰雅族)
4.ブヌン族(布農族)
5.タロコ族(太魯閣族)
6.プユマ族(卑南族)
7.ルカイ族(魯凱族)
8.セデック族(賽徳克族)
9.ツォウ族(鄒族)
10.サイシャット族(賽夏族)
11.タオ族(達悟族)
12.クバラン族(噶瑪蘭族)
13.サキザヤ族(撒奇莱雅族)
14.サオ族(邵族)
15.サアロア族(拉阿魯哇族)
16.カナカナブ族(卡那卡那富族)
原住民の人口と居住地は?
最も人口の多いアミ族は、主に花蓮県、台東県などの東部を中心に、2番目に人口の多いパイワン族
は台東県、屏東県などに暮らしています。
原住民人口の上位3県(市)
1.アミ(阿美族) ……23.5万人(37.3%)
2.パイワン(排灣族)……11.4万人(18.1%)
3.タイヤル(泰雅族)……10.3万人(16.3%)
どこに住んでいる?
1.花蓮県……約9.5万人(15.1%)
2.桃園市……約9万人(14.3%)
3.台東県……約7.8万人(13.2%)

出典:中華民国内政部 https://www.moi.gov.tw/

出典:中華民国内政部 https://www.moi.gov.tw/
分布図を見ると、原住民が住む場所は、東部・南部に多いことがわかります。
中でも地方の山岳地帯や海岸地帯に集中していますが、子どもの教育や仕事のために移住する人も増え、現在は全体の約 6 割が都市に住んでいると言われています。
tabibitoタイヤル族の伝統文化の中で、成人の証として顔にイレズミをいれる、
「紋面(もんめん)」と呼ばれるこの習慣があるんですよね。


原住民たちの歴史
先史時代〜16世紀(独自文化の形成)
約8,000年にわたり、台湾の島々で独自の文化、言語、社会組織を持つ人々が暮らしていました。
言語学的には「オーストロネシア語族」に属していて、これはフィリピンやインドネシアに広がる
民族と共通点を持っています。
当時の生活は、狩猟・採集・焼畑農業が中心で、山や川、海といった自然と密接に関わる暮らしが
営まれ、それぞれが独自の言語や文化、信仰を持っていました。
17世紀(オランダ・スペイン統治)
オランダ東インド会社が南部に拠点を置き、貿易と伝道活動を開始します。
この時期に中国大陸からの漢民族の移住も本格化し始めます。
オランダ統治下では、原住民に対してキリスト教の布教や教育が行われ、一部の地域では生活様式に変化が見られました。
また、漢民族(主に福建・広東からの移民)の流入も進み、清朝による統治が始まると、平地に住んでいた原住民は次第に山岳地帯へと追いやられていきました。



知人もオランダとのクォーターで、クリスチャンです。
清朝統治時代
清朝は台湾を統治下におき、漢民族の移民を奨励し、原住民は漢民族との土地紛争や
「平埔族(漢化が進んだグループ)」と「高山族(山間部に留まったグループ)」への
分離・再編を経験しました。
日本統治時代(1895〜1945)
1895年、日清戦争の結果、台湾は日本の統治下に入ります。
日本政府は山岳地帯の道路や警察施設の整備、教育制度の導入などが進めました。
一方で、武力衝突も発生し、特に有名なのが1930年の「霧社事件」です。
これは原住民が日本の支配に対して起こした大規模な蜂起であり、原住民の抵抗の象徴として知られています。
戦後〜1980年代(同化政策の時代)
第二次世界大戦後、台湾は中華民国の統治下に入り、「同化政策」が進められ、原住民は漢民族中心の社会に組み込まれていきます。
学校教育では中国語(北京語)が主に使用され、原住民の言語や文化は次第に衰退していきました。
また、多くの原住民が仕事を求めて都市へ移住し、伝統的な共同体の形も変化していきます。



日本の統治下を生きた彼らの中には、日本語は話せても
中国語を話せない方がたくさんいらっしゃいました。
1990年代以降〜現代(文化復興と再評価)
政府は原住民族の文化保護や言語教育を推進し、民族としてのアイデンティティが再評価されるようになりました。
現在では、伝統的な祭りや衣装、言語の復興が進められています。
また、観光と結びついた文化発信も活発になり、原住民文化は台湾の重要な魅力の一つとして
国内外に広く知られるようになりました。
日本で活躍している原住民は?
歌手でマルチタレントのビビアン・スーさん(徐 若瑄)


出典:wikipedia
日本でも人気の彼女は、台湾の原住民であるタイヤル族の母親と客家人の父親を持つハーフです。
今もイベントに参加したり、原住民支援活動をサポートするなど、自身のルーツを大切にされているようです。
北海道日本ハムファイターズのグーリン・ルェヤン(古林 睿煬)さん


出典:wikipedia
周 渝民(ヴィック・チョウ)さん


出典:wikipedia
母親がタイヤル族のハーフの人気俳優。
『流星花園〜花より男子〜』(花沢類役)にて俳優デビューし、共演した3人と共に台湾の人気アイドルグループ『F4』を結成。
堀が深く目鼻立ちがはっきりしている顔の方が多いことから、美男美女が多いとも言われ、
多彩な才能を発揮する人も少なくありあません。
高砂族とは?
耳慣れない方もいらっしゃるかもしれませんが、彼らは太平洋戦争中、「高砂義勇隊」として日本軍に協力し、南方の激戦地で日本人兵士を支えてくれました。
高砂族の意味と由来
「高砂族(たかさごぞく)」とは、日本統治時代(1895年〜1945年)に台湾の原住民を指した呼称です。
もともと「高砂」という言葉は台湾を指す古い日本語の表現であり、「高砂族」は台湾に住む先住民族全体をまとめて呼ぶ名称として使われました。
現在ではこの呼び方は一般的ではなく、「台湾原住民」という表現が主流になっています。
日本統治時代における位置づけ
当時の日本政府は、原住民の住む地域を「蕃地(ばんち)」として区分し、特別な行政管理を
行っていました。
教育やインフラ整備が進められる一方で、伝統的な生活や文化には制限が加えられ、日本式の
教育や生活様式が導入されていきます。



この時期の彼らの戸籍には、与えられた日本語名と
昭和で数えた生年月日が記されていました。
これを見た時はさすがに複雑な心境に…
高砂義勇隊と戦争との関わり
第二次世界大戦中、日本は台湾原住民を「高砂義勇隊」として動員しました。
彼らは南方戦線(東南アジアや太平洋地域)に派遣され、厳しい環境の中で戦闘や支援活動に従事しました。
山岳地帯での生活に慣れている彼らは、ジャングルでの行動能力が評価され、偵察やゲリラ戦などで活躍したとされています。
しかし、その一方で多くの犠牲者も出ており、現在でも台湾原住民にとって悲しい記憶の一つとなっています。
日本敗戦後は中華民国の支配下となりました。
当時、高砂義勇隊で戦われてその後、日本に移住された方の自伝の一部です。
台湾を出発、南下し、また北上してくる様子が記されています。
出兵時の写真から始まり、戦いを終えて日本で穏やかな暮らしを7ページに渡り綴られていました。


どこで原住民の文化を知ることができる?
台湾
順益台湾原住民博物館
台北・故宮博物院の斜め向かいにあるようです。
次に台湾行った際は絶対、訪れたいです。


出典:順益台湾原住民博物館 https://www.facebook.com/aborgines0609/
https://www.museum.org.tw/?lang=ja-JP
原住民九族文化村
台湾南投県にある、原住民文化と幼稚園が融合したテーマパークです。
日月潭の近くにあり、原住民族の伝統家屋や文化体験、ショー、そしてスリリングなアトラクションや全長1,877mのロープウェイが楽しめるようです。


出典:Taipei Navi https://www.taipeinavi.com/play/381/
原住民九族文化村を紹介している動画もご参考ください。
日本
東京国立博物館
ちょうど今、「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―を開催されていました。
期間:2026年3月10日(火) ~ 2026年5月31日(日)
これは行ってみたいと思います。


出典:東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2746
日本民芸館


出典:日本民芸館HP https://mingeikan.or.jp/
日本民藝館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営。「民藝品の蒐集や保管」「民藝に関する調査研究」「民藝思想の普及」「展覧会」を主たる仕事として活動している。
初代館長には柳宗悦が就任し、二代目は陶芸家の濱田庄司(1894-1978)、三代目は宗悦の長男でプロダクトデザイナーの柳宗理(1915-2011)、四代目は実業家の小林陽太郎(1933-2015)、そして現在はプロダクトデザイナーの深澤直人が館長職を継いでいる。当館には柳の審美眼により集められた、陶磁器・染織品・木漆工品・絵画・金工品・石工品・編組品など、日本をはじめ諸外国の新古工芸品約17000点が収蔵されており、その特色ある蒐集品は国の内外で高い評価を受けている。日本民芸館HP 沿革より
私は柳宗理さんの方手鍋を愛用しており、偶然見つけたこの民芸館に興味を持って訪れた際、なんと偶然、台湾原住民の文化も紹介されていました。
これは昨年(2025年)4月です。




もしかして今年も?と思い探してみると、「柳宗悦と日本民藝館」が2026年6月6日(土)―8月12日(水)に予定されており、この時展示されるのではないか…と思います。(推定)


出典:日本民芸館HP https://mingeikan.or.jp/exhibition/schedule/?lang=ja



その理由は、昨年撮影した写真と上記掲載右の写真が似ているからです(笑)
もし当たってなかったらごめんなさい!
台湾に行かなくても、原住民の文化を知れる機会があることに私は驚きました。
まとめ
台湾原住民は、長い歴史の中で独自の文化を築き、また数多くの統治下を経験しています。
種類ごとに異なる文化や特徴を持ち、自然と共に生きる彼らの生活スタイルも、時代の変化とともに大きく変わったこと、またそれを次の世代に伝えていこうとする活動もあります。
台湾へ行かれたら、原住民文化に触れることをおすすめします。
私が彼らと接して感じることは、昔の悲しい歴史を憂うのではなく常に前向きで、陽気で優しいという事です。
次は彼らが口々に話す「台湾農業の父」として知られる「八田與一 (1886-1942)さん」について改めて調べ、まとめてみたいと思います。





