「台湾農業の父」と言われる八田與一とは?烏山頭ダムと嘉南平原の奇跡

台湾南部に広がる豊かな農地「嘉南平原」
現在では台湾有数の穀倉地帯として知られていますが、かつては水不足に苦しむ不毛の地でした。
そんな土地を劇的に変えたのが、日本の水利技術者・八田與一さんです。
彼が手がけた烏山頭ダムは、それまでの台湾の暮らしを豊かに変えたのです。

と言いながら実は私、以前は八田與一さんを知りませんでした。
台湾人の友人達から「彼のお陰で」と言う言葉を聞き、初めて知ったと言う…お恥ずかしい限りです。

「なぜ日本人が台湾でそこまで評価されているのか?」
「烏山頭ダムはどれほどすごいのか?」

こので、八田與一さんの人物像からダム建設、そして現在に続く評価や観光ポイントまで、ご紹介します。

目次

八田與一とは?

出典:wikipedia

生い立ちと経歴

八田 與一(はった よいち)1886年~1942年 日本水利技術者東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職した。
(当時日本統治時代の台湾で、嘉義台南高雄など各都市の上下水道の整備を担当)

台湾との関わりと嘉南平原の水不足問題

1910年、24歳で八田さんはは台湾へ赴任します。
台湾に赴任した彼が直面したのは、深刻な水不足という問題でした。

特に南部の嘉南平原は広大でありながら農業に適した環境ではなく、当然、水が足りないために
作物が育たず、多くの農民が貧しい生活を強いられていました。
八田はこの問題を解決するため、後に「台湾史上最大の水利事業」と呼ばれる 嘉南大圳計画
挑むことになります。

嘉南大圳(かなんたいしゅう、台湾語発音:Ka-lâm Toā-chùn、中国語拼音: Jianán Dàzùn)とは、1930年(昭和5年)に竣工した台湾で最大規模の農水施設であり[2]、完成当時は東洋一ともいわれた[3]日本統治時代の最重要な水利工事の一つである。

wikipedia

嘉南大圳・烏山頭ダム建設

1920年9月に土木工事を開始し、総工費5,414万円をかけ、1930年4月10日に竣工しました。
単なるダムではなく、「水を広範囲に届ける仕組み」を作るという、当時としては非常に先進的な計画で、烏山頭ダムは「半水力式ダム」という特殊な構造を採用しています。

また有効貯水量1億5,000万㎥とアメリカフーバー・ダムが完成するまでの数年間は、この烏山頭ダムが世界最大だったことからも、これが相当な規模だという事が分かります。

また烏山頭ダムは、上から見ると湖岸がエメラルドグリーンのサンゴ礁のように見えることから
「珊瑚潭(サンゴ潭)」と呼ばれています。

出典:烏山頭ダム風景区 | シラヤ国家風景区管理処

tabibito

これは驚き。とても綺麗ですね!

また、八田さんは烏山頭ダムだけでなく、曽文渓ダムという現在も大きな役割を果たしているダムの建設にも携わっています。

ただ、最後は殉職と言う悲劇に見舞われています。

太平洋戦争中の1942年(昭和17年)5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に客船「大洋丸」に乗船した八田は、フィリピン綿作灌漑調査のため広島県宇品港で乗船、出港したがその途中、「大洋丸」は五島列島付近でアメリカ海軍潜水艦グレナディアー」の雷撃で撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した。

引用:wikipedia

tabibito

夫の成功を陰ながら支えた妻の外代樹さんは悲しみに暮れ、同年9月1日、烏山頭ダムの取水口に身を投げて自ら命を絶たれたそうです。
悲しい…。

現在の評価と記念施設

台湾での評価

八田興一は現在でも台湾で「台湾農業の父」「台湾の恩人」と呼ばれ、その功績は高く評価されています。
命日の5月8日には追悼式が行われ、台湾の教科書にも彼の名前が刻まれています。

記念施設と観光スポット

いまは烏山頭ダム周辺は、八田與一記念公園、八田與一夫妻の墓、珊瑚潭の湖畔公園が整備されています。

主な観光場所

八田技師紀念室:八田技師を偲び、貯水池建設当時の様子や八田技師の生涯の足跡と貢献を詳しく記録ている。

八田銅像:金沢市の彫刻家「都賀田勇馬」に依頼して彫刻され、1931年に台湾に運ばれた。
銅像の後方には墓碑が立っており、八田與一夫妻が烏山頭の墓地で永眠しています。





殉工碑:事故や病気で殉職した134名の同僚およびその家族のために建てられた「殉工碑」。
    
石碑正面には八田与一自身が書いた碑文が刻まれ、他の三面には殉職者の名前が刻まれています。

tabibito

烏山頭ダムの建設は、想像を超える困難の連続だったんですね。特に昔は病気で亡くなることも多かったでしょうね。





八田宅:八田與一技師の家族が当時居住していた場所。建物は独立した一戸建ての建物で、西側に
増築された洋間は八田技師の書斎で、職位の昇進に合わせて増築されたものです。





天壇:民国62年に民間の主導で建設されたもので、規模が壮大な宮殿式建築物。
外観は中国北京の天壇の高さの四分の三の比率で造られている。

出典:烏山頭水庫風景區

烏山頭ダム・八田與一記念公園へのアクセス方法

鉄道+タクシーです。 (バスでのアクセスは本数も少なく、時間がかかる為、お勧めしません)

  • 台湾鉄道(TRA)で移動  台南駅または高雄方面から台湾鉄道に乗車
  • 隆田駅で下車 
  • タクシーまたは配車アプリで移動 駅からだとタクシーで10~15分。

八田修一とは?受け継がれる想い

八田修一さんは、八田與一の孫にあたる人物で日本と台湾の架け橋として、次世代に伝える活動を
続けておられます。

私は2022年に、東京で行われた台湾との交流会で修一さんとお会いしました。
とてもやさしい方と印象を受けたのを覚えています。
当時私が頂いたお名刺も、一般社団法人 台湾世界遺産登録応援会で、講演で八田與一さんの
お話をたくさんしてくださいました。

出典:一般社団法人 台湾世界遺産応援会

  • 1957年東京都生まれ。
  • 1930年に台湾で烏山頭ダムと嘉南大圳を建設した八田與一氏のお孫さん。
  • 毎年5月8日には台湾で催される與一慰霊祭に参列されています。
  • 2009年より日台交流の絆づくりに向けて講演活動を始め、台湾大学、台北市日本商工会、台湾文化センター(東京虎ノ門)、土木学会、名古屋市鶴舞中央図書館などで講演会多数。
  • 2020年より一般社団法人 台湾世界遺産登録応援会 代表理事。

まとめ

今回の調べで、殉職なさったこと、奥様のこと、その時代を懸命に生きられた思いが伝わりました。
八田與一さんは、日本人でありながら台湾の未来のために人生を捧げ、台湾の農業発展に大きく貢献しました。

そして現在、その志は孫の 八田修一さん によって受け継がれ、 日台交流の架け橋として紡がれています。

また私自身が、お孫さんの修一さんとお会いしたことも何かのご縁だと感じます。
(もちろん、修一さんは「一観衆の私」など覚えていただけていませんが 笑)

最後までお読みいただきありがとうございました。
ご興味がありましたらぜひ烏山頭ダムを訪れてみてください!

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この記事を書いた人

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
海外生活を終え、サラリーマン生活も終えてしまった50代女性です。

最近、人生思ったほど長くないなと気づき、これからは自分の好きなことだけをすることにしました。
好きなことは旅行、美味しい物、うわさ話に部屋の間取り図(笑)
思ったことや経験したことを綴っていきます。

ちょっと偏ったブログになるかも知れませんが、よろしくお願いいたします♪

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